いつのまにか無くなってしまうものが世の中にはたくさんあります。ご近所の風景から文化遺産、廃墟、自己の存在意義まで、管理人が魂込めて贈るメッセージです。
by neo-trip
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カテゴリ:わがまち偉人伝( 4 )

横溝正史の書斎探訪(山梨)

人生八つ墓村で仕事場が獄門島で家庭が犬神家の一族の私は山梨に落ちのびた。山梨の笛吹川フルーツ公園に横溝正史が昭和30年頃から晩年まで書斎として使っていた家が移築されている。表向きは寄付だが実は影で金が動いているのだ。世の中とはそおゆうものだ。昭和30年頃の家というのは取り立てて立派ではない。高度成長期の安普請である。中に入ると、いかにもマニアらしい薄笑いを浮かべた女が座っていて、同じくマニアらしい男達と横溝正史の知識自慢をしていた。なんやらインターネットで知り合った連中がここでオフ会を開いているようだ。いつまでも書斎から出ないので写真が撮れなくて迷惑である。
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とりあえず駅前で名物ほうとうを食べる。
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横溝正史が寝ていたところ
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生原稿
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金田一事務所の看板
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家の中には江戸川乱歩からの手紙とか正史の原稿とか貴重な資料がある。
公園内に温泉があるが長居が出来ない身の上なので早々に立ち去る。
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by neo-trip | 2013-02-16 23:02 | わがまち偉人伝

義理と人情、男 吉良の仁吉の墓参りをする

義理と人情の男、吉良の仁吉は、清水次郎長の子分から唯一次郎長の兄弟分にまで出世した。愛妻の父親が弟分の縄張りを横取りしたため、妻を取るか弟分を取るかで悩み、結果弟分の助太刀をする。清水の次郎長も助太刀をした荒神山の決闘で仁吉は命を落とす。ただ仁吉の結婚の有無が分からないため妻の件はその後の講談などで話に情を付けるための創作とも考えられる。

尾崎士朗の「人生劇場」にも男、吉良の仁吉の件がある。また、人生劇場という歌にも出てくる。


1 やると思えば どこまでやるさ
  それが男の 魂じゃないか
  義理がすたれば この世は闇だ
  なまじとめるな 夜の雨


2. あんな女に 未練はないが
  なぜか涙が 流れてならぬ
  男ごころは 男でなけりゃ
  解るものかと 諦めた


3. ときよ 時節は変ろとままよ
  吉良の仁吉は 男じゃないか
  おれも生きたや 仁吉のように
  義理と人情の この世界

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尾崎士朗

仁吉の墓は吉良町の源徳寺にある。墓参りに行くと和尚さんが仁吉についていろいろ教えてくれた。よく、博打でテラ銭というが、当時博打は寺の中で行われた。だからテラ=寺で、源徳寺はその場所だったようだ。清水の次郎長や吉良の仁吉が喧嘩をする際はここを常宿にしていた。荒神山の決戦もここから出発した。仁吉の墓は次郎長が建てたと言うことだが、実は侠客ふぜいが墓など建てることは出来なかったので、次郎長が、今で言う署名運動をして、吉良の町で墓を建てて貰った。墓の横には決戦前に大政が餅をついた臼も祀られている。本堂には仁吉の遺品が展示されている。仁吉の墓には仁吉の家紋では無く次郎長の家紋が彫られている。

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「仁吉が男になるかならぬかの境目は、荒神山の勇ましい働きぶりぢやなくつて、あの女房が、だまつて三下り半をおしいただき、長いあひだお世話になりました、といつてかえつてゆくうしろ姿を心で伏し拝みながら、さア行かうと立ちあがつたときの切ない気持ちの中にあるんだよ」尾崎士郎 人生劇場望郷篇 比翼塚の章より

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by neo-trip | 2012-02-26 20:13 | わがまち偉人伝

すみれの花〜の生みの親、白井鐡(てつ)造(春野町)

静岡県浜松市の春野町には、近年春ともなれば、紫色のスミレの花があちこちに見ることができる。その理由は宝塚歌劇団のテーマ曲ともなっている「すみれの花咲くころ」の生みの親が春野出身で後に宝塚歌劇団の演出者として、また理事とて名を残した白井鐡造氏の生まれ故郷だからだ。町では宝塚歌劇団のテーマ曲ともなっている「すみれの花咲くころ」を町のイメージ作りにと町民こぞってスミレの花作り、また曲を時報に合わせて流し、町おこしをしている。その白井鐡造氏の偉業をたたえて町には白井鐡造記念館があり、記念館には往年のスターのポスターや雑誌、白井鐡造氏の遺品などが数多く展示され無料公開されている。白井氏はもともと浜松の日本形染で働いていた。日本形染といえば昭和天皇が視察に来られた優良企業である。優良企業を辞めてまで演出家の道に入り、もともとフランスの歌をすみれの花咲く頃の詞を付けて大ヒットさせた。

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白井鐡造記念館
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当時のポスター
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近くにあった二宮金次郎先生の石像
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記念館から浜松方面に向かう途中にて

記念館には私1人しかいなかった。各地にその町の偉人の記念館があるがなかなか人が訪れない。先日訪れた本田宗一郎、木下恵介の記念館でもお客さんはちらほらとしかいなかった。今の人たちは、先人に偉業に対する興味がないのだろうか。または自分たちの町に興味が無いのだろうか。そのうちこのような記念館が無くなるかもしれない。

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by neo-trip | 2012-01-16 14:40 | わがまち偉人伝

本田宗一郎の地にシビック1200RSで行く

シビックとは本田宗一郎にとっては苦々しい車である。車は空冷で、FRかRRが絶対と思っていた宗一郎に、シビック開発社員は全く逆の車を作った。FFで水冷、平凡な大衆車を作ったのだ。当然激怒したが、時代はもう、宗一郎が好む特徴的な車は望まれていなかったのだ。しかも爆発的なヒットとなった。しかし、さすがはホンダである。数年後のオイルショック時に排ガス規制に通らないようなシビック1200RSを作ったのだ。ツインキャブでガソリンをばらまき、ゴーカートと呼ばれるくらい乗り心地が悪かった。当時の車情報誌では「いまや大メーカーたるホンダがこのような時期にこんなクルマを作って良いのだろうか?」という記事が載っていた。そして一年で生産中止となたのである。そんなクルマで浜松市の本田宗一郎ものづくり伝承館へ行ってきた。
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地元で有名な斉藤ラーメン
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室内
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本田宗一郎ものづくり伝承館で
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近くにあやしい洞穴がある。
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by neo-trip | 2011-10-13 11:44 | わがまち偉人伝