いつのまにか無くなってしまうものが世の中にはたくさんあります。ご近所の風景から文化遺産、廃墟、自己の存在意義まで、管理人が魂込めて贈るメッセージです。
by neo-trip
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カテゴリ:新撰組とその周辺( 4 )

新撰組参謀伊東甲子太郎先生最期の地を歩く(京都)

伊東甲子太郎先生は、リーガロイヤルホテル京都近くにある近藤先生のお妾さん宅で飲んだ後、油小路の本光寺前で暗殺にあう。実はその前々日に伊東先生は坂本龍馬と会いなにらや密談したらしい。世の中悪いことは出来ないのである。
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本光寺
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伊東甲子太郎先生の碑
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油小路
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このあたりに伊東甲子太郎先生の死体を放置したらしい
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坂本龍馬の墓
ついでに清水寺近くの坂本龍馬の墓参りもする。死んでしまえば敵味方もないのだ。
ちなみに私の奥さんは私が死んでも許さんといっていた。

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by neo-trip | 2012-09-16 21:41 | 新撰組とその周辺

新撰組局長芹沢鴨先生の墓参りに行く(京都・壬生寺)

「しらふの時はいいけれど、酒が入ると虎狼よ」とは広沢虎造の浪曲、森の石松の件だが、芹沢鴨先生もそうだったらしい。今のりそな銀行の前身の、大和屋に事業資金を借りようと相談に行くと、頭取から「お宅のような将来性のない小さな会社にはお金は出せまへんわ」と言われ、困った芹沢先生はきっと辛くてお酒を飲んでしまったのだろう。その銀行に大砲を撃ってしまった。その気持ちは分からなくもないが。これが原因で暗殺されることになる。暗殺の日、芹沢先生を囲む会が島原の角屋(すみや)で開かれ置屋の輪違屋(わちがいや)から芸妓の糸里らを呼び、どんちゃん騒ぎが繰り広げられ、屯所の八木邸に戻って泥酔している所を土方歳三や沖田総司らに暗殺された。近藤勇先生は角屋でまだ飲んでいたらしい。
壬生寺に芹沢先生の墓があるが、その直ぐそばに経理の河合耆三郎の墓があるが芹沢先生の墓に比べると非常に立派だ。なんでも実家が大きな米問屋で新撰組が建てた墓とは別に大きな墓を建てたそうだ。
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島原の大門
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置屋の輪違屋
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島原の角屋
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島原の角屋
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左が芹沢先生の墓、一つ飛んで右が河合耆三郎の墓
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新撰組屯所「八木邸」
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八木邸は今お菓子屋になっている

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by neo-trip | 2012-09-09 19:20 | 新撰組とその周辺

新撰組局長近藤勇先生の墓参りに行く(岡崎)

岡崎は松平家発祥の地である。その地に近藤勇の首が祀られている。長い間近藤勇の首は見つからなかったのだが、岡崎の法蔵寺から近藤勇の石碑がみつかった。石碑には土方歳三他伝習隊の隊士の名が刻まれている。寺の記録によると、三条大橋にさらされていた近藤勇の首を同士が盗んで、近藤勇が生前尊敬していた和尚に埋葬を頼んだ。当時は石碑が見つかるとまずいので、土で隠して無縁仏のようにしていた。明治以降国賊だった新撰組も戦後になって汚名挽回したので現在は堂々と祀ってある。
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法蔵寺
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首塚の上に東照宮がある。徳川幕府のために最後まで戦った近藤勇にとって、徳川家康と同じ地に祀られるのは本望ではないのだろうか。

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by neo-trip | 2012-08-28 21:56 | 新撰組とその周辺

浜松に永住した新撰組隊士 中島登のお店閉店

幕末、京都に横行したテロリスト達を逮捕するために生まれた新撰組は、時代の流れの中で賊軍のレッテルをはられてしまい、明治以降しばらく悪役になってしまっていた。現代では新撰組に対する偏見もなく、一種のヒーローとなっている。そんな新撰組の隊士中嶋登が浜松に住み着き、彼の作った銃砲店が子孫により最近まで営業してたのだが、先日閉店していたことが分かりましたので以前の記事と現在のお店を紹介します。

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中島登

浜松市紺屋町にお住まいの中島銃砲店中島真佐世さんは新撰組隊士中島登のお孫さんにあたる。
「私のお父さんは学校の先生でした。お爺さんが新撰組の中島登です。お墓は天林寺にあります。どなたかおいでてくれるのでしょうね。時折花を供えてくれてあります。井上家とも近藤勇さんのお母さんとも元々縁があったようです。八王子の出です。(天保9年2月2日武州南多摩郡西寺方村出身)ゆかりの品はすべて函館の博物館に寄付しました。少し前の映画ですと勤王の志士が正義の味方でしたね。新撰組は悪役で。でも今の方は新撰組に引かれる方が多いようですね。新撰組の人たちは正直で貧乏くじだったけれど自分達の生きざまができたんでみんなが同情してくれるんですかねえ。日本人は赤穂浪士とか新撰組とか、赤穂浪士と新撰組は違いますけれど滅びてゆくものの悲劇的な最後の純粋さに引かれるのでしょうね。」

新撰組隊士、中島登は情報収集役にあたり甲斐、武蔵、相模の情勢を探る仕事をしていた。隊長近藤勇の命により、表に出ず、機密の働きをしていたので、行動が今もって謎だ。真佐世さんが伝え聞いた話によると、中島登は土方歳三の直属の部下で、鳥羽伏見の戦いの頃本隊に合流し、甲州勝沼、下総流山と官軍に敗れ北へ北へと追われた。流山で組長の近藤勇が捕らえられ刑場に引かれて行く途中を襲って奪いかえす計画を立てた。
隊士各々変装し、中島登は大工になりすまし腹掛けの中にのみを隠し持って、待ち構えていたが鉄砲隊の警護はなはだしく厳しいため目的を果たすことができなかった。
奥州を転戦して新国家建設を夢見た榎本武揚らとともに函館に行き、土方歳三の直属の部下として最後まで一緒に戦った。中島登は島田魁らと共に生き残り、しばらく投獄され、釈放されるまでの間、戦友達を偲び記録を書き残した。原本は紛失したそうだが、当時書き写しておいたものが残っている。これが今の数々の新撰組の物語りの貴重な資料ベースになっている。
 「絵だから誰がみてもわかるのよ。本職の絵書きのように上手でないけれどそれだからいいのよ」と真佐世さんは言う。


謹慎生活のあと、許されて駿州で剣道の師範をしていた。浜松の魚屋の店先でかつて負傷し倒れている所を助けた大島清慎とばったり会い浜松に住む事になったようだ。そして葉蘭の栽培に成功し、明治17年に鉄砲及び火薬類販売の免許を得て中島銃砲店を始めた。この店は新撰組隊士中島登が初代、今は3代目、である。官軍との戦いの中、鉄砲や大砲を相手に、刀や槍で応戦し苦労した新撰組隊士として感慨深い職業である。
 「身内は諸々の供養のために坊さんになった方が多いのです。」真佐世さんの言葉に当時の親族達の苦労がうかがえる。
 新撰組のことを記したものには永倉新八の「新撰組顛末記」があるが、彼は途中で土方歳三と袂を分かち、函館まできていないので、中島登の資料は非常に価値が高い。
 ところで浜松には中島という姓が多い。先祖をたどると新撰組の血が流れている人がいるかもしれない。

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中島家の家紋

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中島登使用の袖印

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中島登の覚え書き
この覚え書きの中に家訓三箇条があり、1.食べ物の好き嫌いを言うな、2.勝負事をするな、3.金貸しは孫子の代までするな とある。


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2012年6月 知人より中嶋銃砲店はとっくに閉店していると聞きました。

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by neo-trip | 2012-06-18 19:00 | 新撰組とその周辺