いつのまにか無くなってしまうものが世の中にはたくさんあります。ご近所の風景から文化遺産、廃墟、自己の存在意義まで、管理人が魂込めて贈るメッセージです。
by neo-trip
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義理と人情、男 吉良の仁吉の墓参りをする

義理と人情の男、吉良の仁吉は、清水次郎長の子分から唯一次郎長の兄弟分にまで出世した。愛妻の父親が弟分の縄張りを横取りしたため、妻を取るか弟分を取るかで悩み、結果弟分の助太刀をする。清水の次郎長も助太刀をした荒神山の決闘で仁吉は命を落とす。ただ仁吉の結婚の有無が分からないため妻の件はその後の講談などで話に情を付けるための創作とも考えられる。

尾崎士朗の「人生劇場」にも男、吉良の仁吉の件がある。また、人生劇場という歌にも出てくる。


1 やると思えば どこまでやるさ
  それが男の 魂じゃないか
  義理がすたれば この世は闇だ
  なまじとめるな 夜の雨


2. あんな女に 未練はないが
  なぜか涙が 流れてならぬ
  男ごころは 男でなけりゃ
  解るものかと 諦めた


3. ときよ 時節は変ろとままよ
  吉良の仁吉は 男じゃないか
  おれも生きたや 仁吉のように
  義理と人情の この世界

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尾崎士朗

仁吉の墓は吉良町の源徳寺にある。墓参りに行くと和尚さんが仁吉についていろいろ教えてくれた。よく、博打でテラ銭というが、当時博打は寺の中で行われた。だからテラ=寺で、源徳寺はその場所だったようだ。清水の次郎長や吉良の仁吉が喧嘩をする際はここを常宿にしていた。荒神山の決戦もここから出発した。仁吉の墓は次郎長が建てたと言うことだが、実は侠客ふぜいが墓など建てることは出来なかったので、次郎長が、今で言う署名運動をして、吉良の町で墓を建てて貰った。墓の横には決戦前に大政が餅をついた臼も祀られている。本堂には仁吉の遺品が展示されている。仁吉の墓には仁吉の家紋では無く次郎長の家紋が彫られている。

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「仁吉が男になるかならぬかの境目は、荒神山の勇ましい働きぶりぢやなくつて、あの女房が、だまつて三下り半をおしいただき、長いあひだお世話になりました、といつてかえつてゆくうしろ姿を心で伏し拝みながら、さア行かうと立ちあがつたときの切ない気持ちの中にあるんだよ」尾崎士郎 人生劇場望郷篇 比翼塚の章より

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by neo-trip | 2012-02-26 20:13 | わがまち偉人伝 | Comments(0)

町寂れ、されど文化有り 水窪町高根城址

以前奥さんのお兄さんのお供で首都高速を走らされたことがある。初めての首都高でおろおろする私に兄さんが、おまえは水窪か、と言った。他意は無いのだがこれが浜松人の水窪への認識である。聞くところによると水窪賃金なるものがあり、浜松に合併してから水窪人だけは賃金が安い会社もあると聞く。だが民俗学者の柳田国男は田舎にこそ日本の文化が残っていると言っている。文化とは精神面も含めてである。そんな水窪は長野県南信濃との県境に位地する山と清流に恵まれた自然豊かな町である。町の歴史は古く古代より交易街道の地として栄え、平安時代には都に屋根材の杉皮を供給し、江戸時代には町は天領地に指定され、江戸幕府への木材の供給先としていた。
今も町には南北に縦断する秋葉街道又は信州街道とも呼ばれる街道が残されており、街道は古代には相良からの塩が長野県方面に向けて運ばれ、長野の和田からは黒曜石が運ばれた。戦国時代には武田信玄の覇権の道として遠州へ、江戸時代には交易の道、また信仰の道として多くの旅人の往来で賑わう南北交流の地として栄えた。
昭和のはじめまでは秋葉参りの往来が多かった北遠地方も鉄道や車の近代化とともに交通事情も変化しその数は激減していった。代わりに町は木材産業が盛んとなり昭和30年後半まで活気を呈していたが、その後は輸入木材に押されその勢いを失っていった。また同年代の昭和35年頃から38年までは佐久間ダムと秋葉ダムの建設がはじまりこの時期の水窪は木材とダムに働く人々が集まり町には盛り場をはじめ店は大いに繁盛した。ところがダム建設が終えると町は潮が引くように働く人々は居なくなり町は急激に活気を失っていった。又、随分昔から三遠南信道が水窪市街付近を通ると言っていたのだが、市街から大きく外れてしまった。三遠南信道が通れば町が活気づくと思っていた水窪市民はがっかりしただろう。
さて、高根城は天正4年に廃城するまで、武田信玄にとって重要な城だった。現在高根城は城内道が完全に残っており、当時の戦いぶり、暮らしぶりがまさに手に取るように解る全国でも例がない貴重な城址である。水窪では町をあげて高根城を復元した。高根城への道を地元のおばさんに聞くと、「あれは偽物だからそんな期待しないで。」「偽物で無く復元でしょ。」「ああ、復元ね。」そんな会話のあと、山の頂上を指さして高根城を教えてくれた。あとでこのおばさんの発言こそ水窪人気質だと感じることになる。
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高根城からは下界の様子がよく分かる。
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最高8mの2重堀切で備えは万全。攻める方はこの土塀を2度も超えねばならなかった。
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高根城址を歩くと、戦国時代の雰囲気が感じられてわくわくしてきた。これが正しい城址巡りだろう。想像力が無いと山の上にただ張りぼてがあると感じるだろう。もう少し元気なら走ったり堀切を超えたりしたいところだ。山の中も下ってみたい。もちろん柵があるのでそんなことをしてはいけない。

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栃もちで有名な和菓子屋さん。
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おなかがすいたので水窪商店街にある小さな食堂に入る。昼なお暗い店内に少々びびるが奥からおばちゃんが来てカツ丼しかないという。下の通りには国盗り(地域おこし、村おこしのお土産、お食事の店)があってそこでそばを食べられるよと言われたが、いまさら店を出るわけにも行かないのでカツ丼を頼む。大盛りね、と言われたが普通にして下さいと答えた。私の体格を見ていったのだろう。こんな場所のカツ丼なので期待してなかったのだがちゃんとカツを揚げるところから作っていた。おばちゃんはこんな店でもうしわけないというように、地元の「とじくり」というお菓子をくれた。米粉とそば粉と大豆で作ってあり香ばしくて美味しかった。昔はおにぎりぐらいの大きさで丸めて囲炉裏に放り込んで焼けたらすすを払って食べたという。水窪のお茶は美味しいよと言ってお茶を出してくれた。昔ながらの苦いお茶で本当に美味しかった。おばちゃん唯一の自慢である。さて、カツ丼ができた。おばちゃんは、うちのカツ丼は甘くないのよ。と悪そうに言った。とんでもないです、結構いけます。そのうちとろろ昆布のお吸い物を出してくれた。至れり尽くせりである。
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とじくり
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カツ丼
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とろろ昆布のお吸い物

お勘定は600円だった。
ああ、こんな店なのに満足したなぁと思ったときに、私は何でこんな店だと思ったのだろう。前述の浜松人の水窪に対する認識が私にもあったのだ。おばちゃんはとても謙虚だった。そういえば高根城への道をきいたおばさんも、わざわざ遠くからこんな所に来て頂いて期待外れだったら申し訳ないという感じで、高根城のことを偽物だから、と言ったのだろう。
商店街を見るとゴミ一つ落ちていなかった。
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by neo-trip | 2012-02-04 11:30 | 城址のある風景 | Comments(0)