いつのまにか無くなってしまうものが世の中にはたくさんあります。ご近所の風景から文化遺産、廃墟、自己の存在意義まで、管理人が魂込めて贈るメッセージです。
by neo-trip
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日本軍唯一残った乗馬部隊、騎兵第26連隊〜王ケ崎東公園(豊橋市)

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日中戦争時、乗馬による機動力を発揮したのが騎兵第4旅団で、終戦間際、日本軍で唯一残った乗馬部隊だ。そこに属していたのが豊橋の騎兵第26連隊だ。その活躍は目覚ましく戦闘回数は230回に及ぶ。最後の戦いは昭和20年3月の老河口作戦(ろうかこうさくせん)。本土空襲を阻止するための老河口飛行場の占拠に成功し、終戦まで持ちこたえた。その騎兵第26連隊の門や立哨小屋が豊橋の王ケ崎東公園に残されている。日本に連れて帰ることが出来なかった隊の愛馬達のたてがみと、密かに持ち帰った軍旗の灰がここに祀られている。私の妻の父親が終戦で中国を去るとき、馬は連れていけないので中国の方に預けていくのだが、馬が涙を流しながらあとをついてきたそうだ。兵隊さんも泣きながら馬を叩いて追い返した。馬も戦友なのだ。

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by neo-trip | 2012-11-17 21:55 | 戦争遺跡を訪ねて

ハリマオと共に戦った陸軍独立工兵第4連隊(豊橋向山公園)

陸軍独立工兵第4連隊本部は今の豊橋向山公園にあった。この4連隊はマレー作戦で英国を破り、シンガポール陥落に貢献する。このシンガポールの戦いには陸軍中野学校出身の神本利男に説得されたマライのハリマオ(谷豊)も参加する。ハリマオは病死するが戦死扱いとなり、後に靖国神社に祀られる。一方、指揮をした山下大将は戦後戦犯として処刑される。英国はよほどこのときのことが悔しかったのだろう。独立工兵第4連隊はその後ビルマ作戦に参加し、そこで終戦を迎える。英国の捕虜となり、昭和22年に復員を許され「ラングーン港」から日本に戻る。なんだかビルマの竪琴の兵隊さんと同じ境遇である。
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トーチカがあった。
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by neo-trip | 2012-11-17 18:03 | 戦争遺跡を訪ねて

兵隊さんのいる寺〜藤枝市岡部町「常昌院」

「敵の陣地の中堅ぞ先ず首山堡を乗っとれと三十日の夜深く前進命令たちまちに下る三十四連隊橘大隊一線に」と、軍歌にも歌われた、軍神、橘周太中佐率いる静岡歩兵第三十四聯隊は、日露戦争初期最大の激戦首山堡(しゅざんぽう)の闘いで勝利するものの、23,615名の死者を出し、橘中佐は戦死する。この勝利を最も喜んだのは中国の人々で、家の軒に日章旗を掲げ日本軍を歓迎したようだ。日露戦争は勝ったけどなんかいいことあったの?と知人に聞かれたことがあるが、勝ったおかげで朝鮮も中国もロシアの植民地にならなくて済んだのである。もっといえば負けていたら日本も植民地になっていたかもしれないのだ。大東亜戦争後、日本軍を悪とする米国の教育により日本軍がなんか中国にひどいことをしてきたとされているが、当時の中国はとんでもない悪政で人民は苦しんでいた。日本が占領してからは民主主義を基本とした政策を掲げた。最近やっと中国も民主化しつつあるが日本が関わっていたらとっくに民主化は進んでいたはずである。さて、この静岡歩兵第三十四聯隊に入隊し戦死した地元の兵隊さんの人形を作って祀っているのが藤枝市岡部町の常昌院である。一体一体本人を参考に作られている。
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寺にいた猫
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案内看板

一、
遼陽(りょうよう)城頭(じょうとう)夜は闌(た)けて
有明月(ありあけづき)の影すごく
霧立ちこむる高梁(こうりょう)の
中なる塹壕声絶えて
目醒(めざ)め勝(が)ちなる敵兵の
胆(きも)驚かす秋の風

二、
わが精鋭の三軍を
邀撃(ようげき)せん健気(けなげ)にも
思い定めて敵将が
集めし兵は二十万
防禦(ぼうぎょ)至らぬ隅(くま)もなく
決戦すとぞ聞えたる

三、
時は八月末つ方
わが籌略(ちゅうりゃく)は定まりて
総攻撃の命下り
三軍の意気天を衝(つ)く
敗残の将いかでかは
正義に敵する勇あらん

四、
「敵の陣地の中堅ぞ
まず首山堡(しゅざんぽ)を乗っ取れ」と
三十日の夜深く
前進命令忽(たちま)ちに
下る三十四聯隊(れんたい)
橘大隊一線に

五、
漲(みなぎ)る水を千仭(せんじん)の
谷に決する勢か
巌(いわお)を砕く狂瀾(きょうらん)の
躍るに似たる大隊は
彩雲(さいうん)たなびく明(あけ)の空
敵塁近く攻め寄せぬ

六、
斯(か)くと覚(さと)りし敵塁の
射注(いそそ)ぐ弾の烈しくて
先鋒数多(あまた)斃(たお)るれば
隊長怒髮(どはつ)天を衝き
「予備隊続け」と太刀を振り
獅子奮迅と馳(は)せ登る

七、
剣戟(けんげき)摩(ま)して鉄火散り
敵の一線まず敗る
隊長咆吼(ほうこう)躍進し
卒先塹壕飛び越えて
閃電(せんでん)敵に切り込めば
続く決死の数百名

八、
敵頑強に防ぎしも
遂に堡塁(とりで)を奪いとり
万歳声裡(せいり)日の御旗
朝日に高くひるがえし
刃を拭う暇もなく
彼れ逆襲の鬨の声

九、
十字の砲火雨のごと
よるべき地物(ちぶつ)更になき
この山上に篠(しの)つけば
一瞬変転ああ悲惨
伏屍(ふくし)累々(るいるい)山を被(おお)い
鮮血漾々(ようよう)壕に満つ

十、
折しも喉を打ちぬかれ
倒れし少尉川村を
隊長躬(みずか)ら提(ひっさ)げて
壕の小蔭に繃帯(ほうたい)し
再び向う修羅の道
ああ神なるか鬼なるか

十一、
名刀関の兼光が
鍔(つば)を砕きて弾丸は
腕(かいな)をけずりさらにまた
つづいて打ちこむ四つの弾
血煙さっと上(のぼ)れども
隊長さらに驚かず

十二、
厳然として立ちどまり
なおわが兵を励まして
「雌雄を決する時なるぞ
この地を敵に奪わるな
とくうち払へこの敵」と
天にも響く下知の声

十三、
衆をたのめる敵兵も
雄たけび狂うわが兵に
つきいりかねて色動き
浮足立てし一刹那(せつな)
爆然敵の砲弾は
裂けぬ頭上に雷(らい)のごと

十四、
辺(あた)りの兵にあびせつつ
弾はあられとたばしれば
打ち倒されし隊長は
「無礼ぞ奴(うぬ)」と力こめ
立たんとすれど口惜しや
腰は破片に砕かれぬ

十五、
「隊長傷は浅からず
暫(しば)しここに」と軍曹の
壕に運びていたわるを
「否(いな)みよ内田浅きぞ」と
戎衣(じゅうい)をぬげば紅の
血潮淋漓(りんり)迸(ほとばし)る

十六、
中佐はさらに驚かで
「隊長われはここにあり
受けたる傷は深からず
日本男子の名を思い
命の限り防げよ」と
部下を励ます声高し

十七、
寄せては返しまた寄する
敵の新手(あらて)を幾度(いくたび)か
打ち返ししもいかにせん
味方の残兵少きに
中佐はさらに命ずらく
「軍曹銃をとって立て」

十八、
軍曹やがて立ちもどり
「辛(から)くも敵は払えども
防ぎ守らん兵なくて
この地を占めん事難(かた)し
後援きたるそれまで」と
中佐を負いて下りけり

十九、
屍(しかばね)ふみ分け壕をとび
刀を杖に岩をこえ
ようやく下る折も折
虚空(こくう)を摩して一弾は
またも中佐の背をぬきて
内田の胸を破りけり


一、
嗚呼々々悲惨参の極
父子相抱く如くにて
ともに倒れし将と士が
山川(さんせん)震(ふる)う勝鬨に
息吹き返し見返れば
山上すでに敵の有

二、
飛び来る弾の繁(しげ)ければ
軍曹ふたたび起き上り
無念の一涙払いつつ
中佐を扶(たす)けて山の影
たどり出でたる松林
僅(わずか)に残る我が味方

三、
阿修羅の如き軍神の
風発叱咤(ふうはつしった)今絶えて
血に染む眼(まなこ)打ち開き
日出ずる国の雲千里
千代田の宮を伏し拜み
中佐畏(かしこ)み奏(そう)すらく

四、
「周太が嘗(かつ)て奉仕せし
儲(もうけ)の君の畏(かしこ)くも
生れ給いしよき此の日
逆襲うけて遺憾にも
将卒あまた失いし
罪はいかでか逃るべき

五、
さはさりながら武士の
とり佩(は)く太刀は思うまま
敵の血汐に染めにけり
臣が武運はめでたくて
只今ここに戦死す」と
言々(げんげん)悲痛 声凛凛(りんりん)

六、
中佐は更にかえりみて
「わが戦況はいまいかに
聯隊長は無事なるか」
「首山堡すでに手に入りて
関谷大佐は討死」と
聞くも語るも血の涙

七、
わが凱歌(かちどき)の声かすか
四辺(あたり)に銃(つつ)の音絶えて
夕陽(せきよう)遠く山に落ち
天籟闃寂(てんらいげきじゃく)静まれば
闇の帳(とばり)に包まれて
あたりは暗し小松原

八、
朝な夕なを畏くも
打ち誦じたる大君の
勅諭(みこと)のままに身を捧げ
高き尊き聖恩に
答え奉れる隊長の
終焉(いまわ)の床(とこ)に露寒し

九、
負いし痛手の深ければ
情(なさけ)手厚き軍曹の
心尽しも甲斐なくて
英魂此処に止まらねど
中佐は過去を顧みて
終焉の笑(えみ)をもらしけん

十、
君身を持して厳なれば
挙動に規矩(きく)を失わず
職を奉じて忠なれば
功績常に衆を抜き
君交わりて信なれば
人は鑑と敬いぬ

十一、
忠肝義胆(ちゅうかんぎたん)才秀(ひい)で
勤勉刻苦 学勝(すぐ)れ
情は深く勇を兼ね
花も實もある武士の
君が終焉の言(ことば)には
千載誰か泣かざらん

十二、
花潔く散り果てて
護国の鬼と盟(ちか)いてし
君軍神とまつられぬ
忠魂義魂後の世の
人の心を励まして
武運は永久に尽きざらん

十三、
国史(こくし)伝うる幾千年
ここに征露の師を起す
史(ふみ)繙(ひもと)きて見る毎(ごと)に
わが日の本の国民よ
花橘の薫にも
偲(しの)べ軍神中佐をば

明治三十七年



現在陸上自衛隊第34普通科連隊は、橘連隊と呼ばれている。

以下、第34普通科連隊のホームページより

第34普通科連隊は静岡県御殿場市の板妻駐屯地に駐屯し、主に静岡県(伊豆半島南部を除く防衛・警備・災害派遣を担任しています。
 連隊は過去に静岡県に駐屯していた旧陸軍歩兵三十四聨隊の部隊番号を、地域の方々からの要望により、そのまま受け継ぐ形で創設された郷土部隊としての特色を持ち、「燎陽城頭・・・」の軍歌にも歌われた、橘中佐が生んだ岳南精神「矢弾飛び交うもとで人間愛、戦友愛、難局における献身的行動」を継承し、創設以来47年間、地域と密着した34連隊を目指して日々の訓練に励んでいます。
 連隊は、災害発生時の各自治体等関係機関との連携を常に保持するため、静岡県や各市町村等での防災訓練などに積極的に参加し、自隊でも防災図上訓練や総合防災競技会などを行い、災害対処能力の一層の向上に努めています。
 連隊はこれからも地域に根差し、有事に即応する部隊であり続けるために努力していきます。

 
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by neo-trip | 2012-11-17 00:55 | 戦争遺跡を訪ねて

兵隊さんのいる寺〜南知多郡「中之院」

昭和12年、支那事変(日中戦争)の引き金になった、北京の盧溝橋で日本軍と中国国民革命軍との衝突があり、名古屋第三師団歩兵第六連隊の隊員が急遽上海へ向かう。緊急の出動のため夜中の行軍、長い船旅など、ぎりぎりの状態で上海の前線に到着し、ほとんどが全滅してしまう。ご遺族が戦没者一時金で名古屋市の月ヶ丘に昭和12年から18年にかけて建立した。これらの像はコンクリート彫刻家の浅野祥雲が魂を込めて制作した。ちなみに祥雲は犬山の桃太郎神社の像や関ヶ原の像を制作している。これらの像は平成7年に愛知県南知多郡の「中之院」に引っ越した。
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寺内には台風で壊れたと思われる小屋などがそのままになっている。
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写真を元に本人に似せて作られている。
戦後進駐軍により取り壊されそうになった。この像を壊すことは、再び彼らに死を与えるに等しい。当時の僧侶の命がけの抗議でなんとか取り壊されずにすんだ。

以下は日中戦争が始まった当時の雑誌より抜粋
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当時日中戦争のことを北支事変と言った
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支那の日本に抵抗する女性達のピンナップ。さっそうとして勇敢と褒め称えている。日本が中国国民に敵意が無い証拠である。
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松竹少女歌劇団の戦争資金集めの風景。

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by neo-trip | 2012-11-16 19:46 | 戦争遺跡を訪ねて