いつのまにか無くなってしまうものが世の中にはたくさんあります。ご近所の風景から文化遺産、廃墟、自己の存在意義まで、管理人が魂込めて贈るメッセージです。
by neo-trip
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<   2013年 03月 ( 9 )   > この月の画像一覧

今も残る江戸時代からの採石場、室岩洞(伊豆松崎)

伊豆はいい石が採れる。伊豆松崎にある室岩洞の石は江戸城の石垣にも使用された。今も当時のまま残っている。8:30〜17:00までは照明が点く。
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by neo-trip | 2013-03-26 09:07 | 日本史跡紀行

古き良き工場跡無くなる(浜松市中野町)

世の中には知らないうちになくなってしまうものがたくさんあります。浜松市の中野町は江戸時代からの宿場町で、浜松では珍しく商店街が生き残っている所です。また、レンガの門や煙突が目印の工場跡が秘密基地にもってこいの場所でした。ここに大型スーパーの「バロー」が出来ることになり、現在ほぼ完成しています。浜松市が商店街に大型スーパーの出店を許す理由が分からない。ここの商店街で使えるポイントカードがこの間廃止になりました。商店街も絶滅危惧種として残さなくてはいけないのじゃないかなぁ。町では長年活用されていない土地なので困っていたそうだけど建物を生かしていい公園になったんじゃないかなぁ。遊休地があったっていいじゃん。関係ないけど、数年前に昭和の味わいの自転車屋が火事で全焼した。好きな景色がどんどん無くなっていくなぁ。
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無くなりました
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無くなりました
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無くなりました
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自転車屋全焼す(現在は跡形もない)
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中野町から材木町に行く途中にあるトンネル

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by neo-trip | 2013-03-25 23:05 | 無くなってしまったもの

江戸城の石垣のための石切場(伊豆雲見霊廟)

伊豆はいい石が採れる。江戸城築城のおり、伊豆雲見から石垣の石を採掘することになった。石は大きく綺麗に四角に切り取られていて職人さんの技術の高さを感じる。

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結構高い階段を登るのだか、両脇には地蔵がずらっと並んでいる。亡くなられた方の為の物だろう。なにしろここは霊廟なのだ。供養して欲しい…私。



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by neo-trip | 2013-03-22 21:52 | 日本史跡紀行

やるしかないのだ!手石特攻基地跡(静岡県賀茂郡南伊豆手石)

太平洋戦争末期、太平洋沿岸に無数の特攻基地が作られた。静岡県だけでも伊豆、御前崎、清水、浜名湖など、岩をくりぬいて秘密基地を作った。岩穴から安物のボートに爆弾を積んで敵艦に突っ込むのだ。どう考えても無理だ。かないっこない。意味不明。みんなおかしい。能なしだ。しかし人間、本当にどうにもならなくなった時、そして自分以外の何かを守りたいとき、おかしなことでも望みを掛けるのだ。やってやるのだ。みんなそう思って岩穴から出撃する覚悟を決めるのだ。そうでなければあんなところで耐えられるはずがない。
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私は夜明け前から手石特攻基地跡の穴に入っていた。ここから特攻艇「震洋」で出撃するのだ。寒いし寂しいし、ここが人生の最後ではむなしすぎる。それでもじっとしていて死ぬのではない。やることをやるのだ。やるしかないのだ!…私。


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by neo-trip | 2013-03-22 20:03 | 戦争遺跡を訪ねて

置屋さんへ行く(湖西市新居町)

湖西市新居町には大正時代から戦前まで営業していた置屋の「小松楼」が見学が出来る。現在では国登録有形文化財となっている。当時ここで働いていた芸者さんが使っていた物や写真が残っている。
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ここの娘の雛人形
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ここの娘
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ここの娘の誕生日プレゼントのオルガン
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私のお気に入りの芸者さん(現在も存命中とのこと。是非お相手していただきたい。)
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当時のこの家の娘の雛人形が飾ってあった。今までに見たこともないような立派な御殿の雛人形だ。誕生日に買って貰ったというオルガンやフランス人形などを見ると、搾取する側と搾取される側の違いを思い知らされる。残り少ないであろう人生、一度ぐらいは芸者遊びがしたかったなぁ。


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by neo-trip | 2013-03-21 23:53 | 明治大正昭和の街並み

今は無き軽便鉄道、静岡鉄道駿遠線(太平洋・駿河湾〜藤枝)

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なかなかの佇まいの食堂に入る。
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昔ながらの中華そばをいただく
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小堤山隧道
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B15蒸気機関車
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静岡鉄道駿遠線の太平洋側には、当時のプラットフォームがあった場所に駅名標を建てて駿遠線を紹介している。また、相良町には大正時代の小堤山隧道が残っている。補修工事もしっかりしてあり、車は通れないが人や自転車が普通に通っている。トンネルの写真を撮っていると、地元のおじさんに声を掛けられる。「ここに鉄道が通っていたんだってね。ワシは名古屋にいたから知らんけど。」といって去って行った。きっと写真を撮りに来る人が結構いるのだろう。また、藤枝市郷土博物館には静岡鉄道よりいただいた本物のB15蒸気機関車がある。
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by neo-trip | 2013-03-21 22:27 | 消えた鉄路を行く

今は無き軽便鉄道、静岡鉄道駿遠線(袋井)

袋井にある浅羽記念公園に中遠鉄道2号機関車のレプリカが再現された。このあたりは大正2年から昭和45年まで軽便鉄道が走っていた。この軽便鉄道は藤相鉄道、中遠鉄道、駿遠線と名称が変更になり、最終的には袋井〜藤枝まで続く日本最長の軽便鉄道になった。鉄道が通っていたところは現在生活道路として袋井では結構そのまま残っている。当時のプラットホームも残っているところがあり、いい雰囲気に整備されている。
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棟方志功画
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当時の時刻表
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この道を軽便が走っていた
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今も残るプラットフォーム
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アップで!
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線路跡はつづく

軽便の機関車はとても小さい。力もないので坂道などでは後ろから客が押したものだと、当時を知る人が証言している。袋井の工場で作られた車輌は、適当な部品を組み合わせて作って、後から図面を引いてその筋に申請して許可を取ったと言うことだ。一つとして同じ車輌が存在しないという強者である。
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by neo-trip | 2013-03-21 21:12 | 消えた鉄路を行く

明智光秀と遠山の金さんの墓参りをする(岐阜県明智)

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龍護寺にある光秀の墓
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龍護寺からの風景
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龍護寺にある遠山家の墓(正面の祠に金さんが合祀されている。)
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なぜか八つ墓村が?
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千畳敷公園にある光秀産湯の井戸
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千畳敷公園にある慰霊塔
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岩村城へ
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岩村城の石垣
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岩村城の石垣

岐阜県恵那市明智町は独裁者信長を本能寺で討ち取った英雄、明智光秀出生の地である。
祖先は、源頼朝の家臣・加藤次景廉で、恵那郡遠山荘の地を与えられたときに遠山を名のり岩村城城主となった。岩村遠山氏が本家で明智遠山氏は分家である。岩村城は日本一高い山城である。また、一時女性(信長の叔母さん)が城主になったので女城主の里として有名。女城主という地酒もある。信長は本能寺に行く前にこの岩村城に滞在している。分家の明智遠山氏はそこから数キロ西にある明智に城を構えた。この明智城から少し離れたところに千畳敷砦があり、そこで明智光秀は誕生した。ここは現在千畳敷公園となっていて、光秀が産湯につかったと言われる井戸が残っている。また、日清戦争から太平洋戦争で亡くなった方を祀る慰霊碑がある。
光秀の墓はここから大正村を抜けた龍護寺にある。この寺には明智家の家系である遠山家代々の墓もあり、そこには遠山左衛門尉景元こと遠山の金さんも合祀されている。信長の叔母さんと光秀は親戚なので光秀と信長は親戚である。光秀の娘が細川家に嫁いでキリシンタンになり、細川ガラシャとなった。関ヶ原の合戦のときに細川家は家康側に就いた。豊臣は妻のお父さんの敵なのでその意気や良し。しかしガラシャは石田三成の人質となっていたので自決した。その子孫は、細川元首相である。信長も光秀も金さんも細川元首相も、なんだかみんな仲間である。

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by neo-trip | 2013-03-21 16:04 | 戦国の地を行く私

ご存じ山本勘助と、なぜか今川義元の墓参りをする。(豊川)

愛知県豊川市は、あの風林火山の山本勘助が養子に行った地である。ここには勘助の墓がある。また、勘助の屋敷の近くの長谷寺には、勘助がいつも身に付けていた摩利支尊天像が祀られている。数年前の大河ドラマ「風林火山」のときに、この像のレプリカを作るためにNHKが取材に来たのを期に、それまで普通に置いていた摩利支尊天像を立派な塔に入れて飾るようになったと和尚さんが言っていた。また、この寺には勘助直々の書がある。こういった書は、だいたい経理関係や御礼の書である。私が適当に「この度は○○を賜りまことにありがとうございます。」と読んでいたら、この書の内容を知っている人が、読めるのですか?と驚いていた。
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山本勘助の墓
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摩利支尊天像
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山本勘助コーナー
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山本勘助の書
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山本勘助養父の屋敷跡
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今川義元の墓に行く途中にある郵便局址
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今川義元の墓に行く途中にある家
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今川義元の墓がある大聖寺
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今川義元の墓

勘助の養父の屋敷跡から少し豊川駅方面の線路沿いを西へ行くと今川義元の墓がある。どうしてこんな所に墓があるのか長谷寺の和尚さんに訊くと、桶狭間の合戦で信長に討ち取られた今川義元を、首は討ち取られていたので胴体だけを駿河に運ぶ途中、胴体が腐敗してしまい、この地に墓を作ったそうだ。豊川は当時、今川氏の勢力圏内だったので墓を作ることが出来た。
余談だが現在NHK大河ドラマの「八重の桜」の山本八重は山本勘助の山本家の家系である。山本家は武田家が滅んだときに会津の方へ逃げたらしい。更に言うと山本五十六もこの山本家の家系である。
余談の余談だが明智光秀の明智家の家系には桜吹雪の遠山の金さんがいる。
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by neo-trip | 2013-03-18 21:07 | 戦国の地を行く私