いつのまにか無くなってしまうものが世の中にはたくさんあります。ご近所の風景から文化遺産、廃墟、自己の存在意義まで、管理人が魂込めて贈るメッセージです。
by neo-trip
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
カテゴリ
全体
山間の集落を訪ねる
天竜舟下り
明治の遺跡
中山道
姫街道を歩く
飯田線を行く
大衆演劇を楽しむ
豊田正子と高峰秀子
古道を歩く
岡崎八丁味噌今昔
秋葉山を登る
嗚呼シビック1200RS
史跡のある風景
ダムとその風景
わがまち偉人伝
城址のある風景
廃校を訪ねて
無くなってしまったもの
戦争遺跡を訪ねて
神頼みをする私
明治大正昭和の街並み
赤線地帯を行く
新撰組とその周辺
日々生きていく私
ぼくらのかぞく
戦国の地を行く私
消えた鉄路を行く
日本史跡紀行
清水次郎長とその周辺
江戸を切る
神様の居る山を登る
産業遺跡
世界遺産
明治大正昭和の建物
秋葉街道を行く
遊園地・観光施設
明治大正昭和の人たち
博物館美術館
Z級グルメを求めて
未分類
以前の記事
2015年 02月
2015年 01月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 03月
2011年 02月
フォロー中のブログ
トリップ管理人の部屋
メモ帳
最新のトラックバック
venuscozy.com
from venuscozy.com
www.whilelim..
from www.whilelimit..
http://while..
from http://whileli..
Flemtam
from Flemtam
滝見橋にグッドデザイン賞..
from ローカルニュースの旅
garciniacamb..
from garciniacambog..
手筒花火が勇壮に 松平東..
from ローカルニュースの旅
あすイベント開催 昭和の..
from ローカルニュースの旅
映画「はじまりのみち」そ..
from soramove
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
最新の記事
トリップversion3をご..
at 2015-02-21 21:08
大日影トンネル跡を行く
at 2015-01-18 19:02
なつかしのたぬきケーキ期間限..
at 2015-01-17 18:16
青崩峠を越えようと試みる
at 2014-09-27 22:23
今に残る久根鉱山の建築物
at 2014-09-23 20:38
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


<   2013年 07月 ( 4 )   > この月の画像一覧

神様の居る粟ヶ岳を登る(掛川・島田)

古代高天原から神様が降りてくるところが磐座である。実際には測量を行う場所である。現在のような暦のない古代、太陽の運行により時を知ることは何よりも大切であり、しかも稲作と関連が深い。具体的に言えば、ある一つの山を基点として、春、太陽が真東から出て真西へ沈む日を春分の日と定める。この日から数えて50~60日後に種まきを始める。
半年たち、秋、再び太陽が真東から出て真西へ沈む日を秋分の日と定める。この日から数えて40~50日後に収穫を始める。
太陽が東北東30度から出て西北西30度へ沈む、勢いの一番盛んな日を夏至と定める。ただ夏至の日は梅雨時なので実際見えない日も多い。
太陽が東南東30度から出て西南西30度へ沈む勢いの一番衰えた日を冬至と定める。だが、太陽は日の出と共に再び蘇っていく。つまり死から再生への日として冬至=新年の祭祀が行われた。
他に立春、立夏、立秋、立冬がある。
粟ヶ岳にはその磐座と測量を行った場所(祭祀場)が残っている。その山を登ってみた。
e0234922_18412753.jpg
e0234922_18412046.jpg
e0234922_18411463.jpg
e0234922_1841754.jpg
e0234922_1841090.jpg
e0234922_1840469.jpg
e0234922_18402938.jpg
磐座
e0234922_18402386.jpg
祭祀場
e0234922_18401537.jpg
e0234922_1840717.jpg


余談だが各地に邪馬台国から派遣された卑弥呼のような巫女達が祭祀を行っていた。祭祀とは暦や進んだ文化を利用して農作物の種をまく日を決めたり、科学的な測量をすることである。その進んだ技術を神がかりに見せて各地を納めた。その巫女達のことをヒメと呼ぶ。姫の語源である。
[PR]
by neo-trip | 2013-07-21 18:42 | 神様の居る山を登る

大岡越前

大岡越前は数々の名裁きで有名だが、その名裁きの殆どは同時期の他の奉行の手柄であった。暴れん坊将軍、徳川吉宗の数々の善政も後生では大岡越前の手柄となって居る。越前はその後1万石の大名となって、岡崎に陣屋が置かれた。

e0234922_0113267.jpg
大岡越前の守陣屋
e0234922_0112517.jpg
大岡越前の守陣屋
e0234922_0111892.jpg
大岡越前の守陣屋
e0234922_0111116.jpg
大岡越前の守陣屋
e0234922_011310.jpg
大岡越前の守陣屋
e0234922_0105098.jpg
大岡越前の守陣屋
e0234922_0103734.jpg
大岡越前の守陣屋

e0234922_0102960.jpg
柴田勝家の孫の勝重は徳川家康に仕え、その孫の柴田勝門が岡崎の本宿に陣屋を構えた。
e0234922_0102233.jpg
柴田勝門陣屋
e0234922_0101539.jpg
柴田勝門陣屋

[PR]
by neo-trip | 2013-07-08 00:24 | 江戸を切る

戦艦長門唯一の遺品を祀る公園(岡崎東公園)

戦後悪名高きビキニ環礁の鬼畜米国の水爆実験は、帝国日本海軍の戦艦を一同に集めて、そこに水爆を落とした。この実験により第五福竜丸が被爆し、ゴジラが誕生し、戦艦長門が沈められた。その戦艦長門の副錨が唯一生き残り、岡崎東公園に祀られている。
e0234922_23425061.jpg
戦艦長門の副錨
e0234922_23424125.jpg
戦艦長門の副錨
e0234922_23423232.jpg
本多光太郎資料館
e0234922_23422453.jpg
本多光太郎資料館のロボット(動く)
e0234922_23421321.jpg
ぞうさんに餌をあげることができる。

岡崎東公園は駐車料金、入園料とも無料。
[PR]
by neo-trip | 2013-07-07 23:46 | 戦争遺跡を訪ねて

森の石松終焉の地を行く

遠州森の石松は、金毘羅代参の帰り、浜松の都田で都鳥一家のだまし討ちに遭い、兄貴分の浜北の小松村の小松村七五郎にかくまってもらい、浜北の道本の子安堂、通称閻魔堂に隠れているところを見つかって命を落とす。都鳥一家とのやり取りは、いろいろ説があり、一般には見受山鎌太郎からあずかった次郎長の女房お蝶の香典をだまし取られた石松がだまし討ちされたという説だが、先に石松が都鳥一家の身内を切ったという説もある。清水の次郎長が有名になるにつれ、石松が悪いとは言えないので、都鳥一家が悪役となった可能性がある。忠臣蔵の吉良上野介のようなものだ。ところで、浜北区小松で閻魔堂の場所が解らなかったので、道を歩いていた若いお巡りさんに聞くと、石松自体よく知らないという。なんなら交番へ来なさいと言うので、たたけばほこりの出る身なので、いま、車を違法駐車してるのでいけませんといって早々に立ち去った。そこで、60代ぐらいのおじさんに聞いてみると、何十年も前にいったきりなのでよく解らないという。さらに70代ぐらいのおじさんに聞いても解らないという。そのおじさんのお母さんらしき人が横に居て、石松のほこらが秋葉街道のあっち、動物の看板の向こうにあると教えてくれた。そのぐらいの年で無いと石松に興味が無いのかも知れない。石松のほこらの向こうに閻魔堂があった。実は何回も通った道である。取り立てて石松云々とは書いてないのでよく解らない。ほこらをよく見ると石松と書いてあった。浜北の人にすれば地元と関係ないヤクザがここでのたれ死んで迷惑なのだろう。

e0234922_2091593.jpg
閻魔堂
e0234922_209746.jpg
閻魔堂
e0234922_2085942.jpg
閻魔堂
e0234922_2085195.jpg
閻魔堂
e0234922_2084298.jpg
石松のほこら
e0234922_2083542.jpg
石松のほこら
e0234922_2082827.jpg
石松のほこら
e0234922_2082141.jpg
石松のほこら
e0234922_208129.jpg
石松のほこら

e0234922_2071874.jpg
小松の街並み
e0234922_2071082.jpg
小松の街並み
e0234922_207360.jpg
小松の街並み
e0234922_2065594.jpg
小松の街並み
e0234922_2064560.jpg
小松の街並み
e0234922_2063783.jpg
小松の街並み
e0234922_2062980.jpg
小松の街並み
e0234922_2013157.jpg
都鳥一家の親分の住居跡
e0234922_201378.jpg
都鳥一家の親分の住居跡
e0234922_2012586.jpg
都鳥一家の親分の住居跡
e0234922_20125028.jpg
都鳥一家の親分の住居跡付近の風景

お年寄りの話では、現在の秋葉街道は昔の秋葉街道と違うとのこと。小松では、秋葉街道のすぐ東側に細い道がありそこが本当の秋葉街道である。このように歴史は改ざんされてゆくのだ。
[PR]
by neo-trip | 2013-07-06 20:04 | 清水次郎長とその周辺